再断酒の記録

スリップ10回以上してます。

入院4!


膵炎から退院したのが2月2日。

退院してからは日々ルーティンを繰り返した。

6時から7時には起きて三食キッチリ食事を摂り、洗濯、掃除、買い物、食事の用意、風呂、ストレッチなど、日々淡々と過ごした。

しかしテレビを観ても何も面白くない。

喋らない日が続いた。

夕食を済ませ18時代には布団に潜り込む。

することが無いので携帯をいじくる。

眠剤を飲み、少なくとも21時には寝ていた。

今考えれば断酒会に足を運んでおけば…。


2月8日、22日とアルコール専門病院へ外来受診。

前歯が2本損傷したため、かかりつけの歯医者。

2回ほど通いつめたところだった。


買い物は目の前のドラッグストアで済ます事もあったが、またまた俺は馬鹿をやってしまう。

そう一本くらいなら良いだろうと。

明日は呑まなければ大丈夫。

分かりきっているのにアルコールをカゴに入れた。


日々淡々とした暮らしで脳がドパミンを放出したがっている。

そして案の定、元の木阿弥!

ギャンブル依存も相まってか、またクレカに手を付けてしまう。

もう使い込み、アルコールが止まらない!

そしてお決まりの嘔吐、下痢。

食べないで部屋の布団にこもり、約1ヶ月程。


助けを求め役所の障害支援課に連絡。


担当者の方からお金はさておき、あなたはこのままだと命にかかるから、病院に行って入院してくださいと。

また人に迷惑をかけ入院することに抵抗感はあったが、自分は役所にまで連絡し、助けを求めていたのではないかと。


そして酔った勢いでアルコール専門病院へ連絡。

病院のソーシャルワーカーさんへ連絡し、状況を伝え主治医の先生にどうにか早く入院させて欲しいと訴えた。


しばらくして病院から連絡が入り、1週間後に入院出来ると確約を頂いた。

入院の前々日まで呑んでいたが、食欲も出てきた。


毎度毎度だが同じ事を何度繰り返しただろう。

退院したらまた呑んでしまうのだろうと悲観的になったが、


心の中では、

何だかほっとした。

入院3!


まあ喉が異常に渇き水を飲むと嘔吐する。

それを何十回も繰り返す。

水を飲まなければ良いのに。

身体いや頭が頑に水を欲する。

脇腹が猛烈に痛くなり身動きが出来ない。

苦しい!痛い!の繰り返し。


そうこうしてるうち、急に目が見えづらくなり、目を開けていても星のようなものが同時に目で捉えられてきて、モノを見る目が雲ががかってきた。

あっ、見えなくなる!

部屋の真ん中で横たわっていたため、ベッドに横になる事だけしか浮かばない。

脚腰に力入らず、這いずってベッドに上がる。

思考回路が全く回っていない。


ヤバい死ぬ?死ぬのか?と…。


嘔吐は治り、必死に眠ろうとする。

日が昇ってきた朝6時くらいだっただろうか?

ウトウトし始め、気付けば朝8時くらいだっただろう。

その日にかかりつけクリニックに脚を運んだところ、すぐに血液検査の結果が出る病院へ行きなさい。と紹介状をもたされる。


その脚で総合病院に行き、検査を受けると急性膵炎で即入院。

やはり命も危なかったようだ。

一週間ほどで退院。

でも右の脇腹には痛みが残ったままだった。

下行結腸壁室出血同様今まで罹らなかった診断名を受ける事が増えてきた。


ヤバいがアル中は急性膵炎にまでなっても、アル中なのだ。

入院2!

平凡な毎日。

将来への不安、家族、友人、社会に対する懺悔。

自分は飲酒渇望対策を次のようにしなければならない。

これはいつ終わろうと言うものでもない。

生きている限りずっと続くと言った方が良いのかもしれない。


依存性の残遺症状としての心のしこりは、いつまで経っても消えない。それどころか日常生活に戻ったら何かのきっかけですぐ元に戻り、燃え盛る炎になってしまう。


自分は目の前のドラッグストアでいつも通り買い物をしていたが、何げに、今日は大丈夫。もうどうでもいい。と燃え盛る炎が蘇り、いつもどおり缶チューハイをカゴの中に放り込んだ。


もう一滴💧でも飲めば後の祭りだ。

結局すぐに連続飲酒になってしまう。

流石に今回はヤバいと思い、水を飲みながら缶チューハイを呑んだ。

一日中3Lの缶チューハイを流し込み、今回初めてだったが、引きこもり状態になった。

何もする気が無くなり、毎日のルーティンなど一切出来ない。

歯磨、風呂、食事も殆ど摂らず、掃除、洗濯も何もかもやる気が無くただ布団に潜り込んで塞ぎ込んでいるだけ、ただ酔いを求めていただけだったかもしれない。。


3週間から1ヶ月が経った頃、膵炎に罹ったときの症状、水飲んで吐く、水飲んで吐くを繰り返した。

自分の中には、まだ生きたいという欲求があった。