その場は普通に飲んだ。
久しぶりの飲酒だ。
美味しくも、不味くもない。
居酒屋では2杯程度。
断酒を続けていたので罪悪感があった。
そして自宅に帰り際、飲みたりないと、頭・身体が強い渇望が出てきた。
帰り際に缶チューハイ3、4缶。
元の木阿弥になってしまった。
その後は案の定、連続飲酒。
アルコールが止まらない。
この会社は10年以上お世話になるのだが、山型飲酒サイクルで、アルコールがセーブ出来た日は出勤。アルコールが残っている時は連続1週間休んだりと。
徐々に休む感覚が多くなり、2週間、1ヶ月と、場合によっては2ヶ月と。
管理職をしていたし給与計算もしていたため、給与はしっかり貰っていた。
ただ職員にはかなり反感をかっていたのは事実であろう。最後の方は一年の半分くらいの出勤しか出来なかったのは事実。給与ドロボウだ!
ただこれも長くはつづかず、約4年前に退職勧奨を受けて退職する事となった。
会社を辞めてからは、飲酒量が益々増えて行った。
ここから波乱の人生が再び始まる。
続く。
抗酒剤シアナマイドを飲んだがまずい。
副医院長先生からは、アルコール依存についての詳細な事は告げられなかった。
自身はこの時、自分はアル中ではない!と言った思いが強く病院には行かなくなってしまった。
会社は自分がおかした欠勤、部下と結婚などで居づらくなり約8年で退職した。
この頃は子どもも授かり、色々と大変だった。最悪な事に出産予定日まで飲酒していた。
生まれた日も飲酒しており、酔っ払って子どもを抱き上げた。
そして同じ業界に転職するも、やはり通勤の問題や人間関係のストレスで、飲酒量がました。
もう完全に飲酒コントロールを失った状態で、家に閉じこもり退職した。5社目。
次に入った会社はまだまだ仕事は良かったが、体力的に厳しい。また夜勤もあり、身体がへとへとになってしまった。やはり会社へ出勤出来ず退職となる。6社目。
6社目の勤務時に7社目の会社は内定していた。
そして今から約15年前に7社目に転職。
オープニングのため、様々な事を教わった事が楽しい。当初飲酒は次の日、また次の日と、色々な事があるので量をセーブしようと思っていたが、セーブが出来ない。
まだ40歳代と言う事もあり何とか会社には這いつくばって出勤していた。
しかしそれも最初だけだった。
アルコール専門病院には外来で受診しており、47、48歳の頃、一度断酒の決意をし、約1年断酒出来ていた。
その頃は何も考えず、職場、自宅の往復を日々淡々とこなしていたため断酒出来たのだろう。
しかしふとした瞬間旧友に最近全く会っていない事に気づき、自らが旧友に連絡をしていた。いや頭、脳が旧友と会って飲んでしまえ!と訴えかけてきたのかもしれない。
続く。