再断酒の記録

スリップ10回以上してます。

入院19!


退職した後は、妻がパートから正社員になり、一家の大黒柱となった。私は一昨年は1月に勤務(8回目転職)したが夜遅くなり、また妻もフルタイムとなり、家庭内のつまらないトラブル、子どもたちも言う事も聞かないなど、ささえなことで夫婦喧嘩が起きてしまう。

この頃から夫婦の立ち位置が変わり、妻が主人のようになった。
子どもたちは携帯やゲームに没頭し、親の言う事は無視するようになった。
やはりこの頃から子どもの中でも、何かが変わったと認識したのではないか。
自身も妻と会うたび言い合いになり、ストレスのため再飲酒、あっという間に連続飲酒となり退職してしまう。

2ヶ月という短い期間での退職。
そして仕事もなく家で飲酒し、ひたすら連続飲酒との戦いだった。
この頃から息子は引きこもりになり学校を行かなくなる。
自分も家の飲みながら家事を行い息子の勉強を見ていたが、妻が帰ってくると家の中は最悪だった。

妻からしたら飲んだくれの夫がいいかげんに家事をして、毎日毎日変化の無い生活に限界を感じていたのだろう。

自分の飲酒量もどんどん増え、家族に対して暴言が多くなり、呆れ果てた妻子は家と飛び出して実家に帰って行った。

家族が居ない中、9回目の転職。朝の食事から昼の弁当の用意など、独りでの生活には無理があった。
やはり飲酒を続ける中、仕事は長続きしない。2ヶ月勤務ののち休職。勤務を続けるだけの精神、身体もなく、結局退職。

いよいよ生きて行く事すら難しくなってきた。

続く。

入院18!


その場は普通に飲んだ。

久しぶりの飲酒だ。

美味しくも、不味くもない。

居酒屋では2杯程度。

断酒を続けていたので罪悪感があった。

そして自宅に帰り際、飲みたりないと、頭・身体が強い渇望が出てきた。

帰り際に缶チューハイ3、4缶。

元の木阿弥になってしまった。

その後は案の定、連続飲酒。

アルコールが止まらない。

この会社は10年以上お世話になるのだが、山型飲酒サイクルで、アルコールがセーブ出来た日は出勤。アルコールが残っている時は連続1週間休んだりと。

徐々に休む感覚が多くなり、2週間、1ヶ月と、場合によっては2ヶ月と。

管理職をしていたし給与計算もしていたため、給与はしっかり貰っていた。

ただ職員にはかなり反感をかっていたのは事実であろう。最後の方は一年の半分くらいの出勤しか出来なかったのは事実。給与ドロボウだ!


ただこれも長くはつづかず、約4年前に退職勧奨を受けて退職する事となった。


会社を辞めてからは、飲酒量が益々増えて行った。

ここから波乱の人生が再び始まる。


続く。

入院17!


抗酒剤シアナマイドを飲んだがまずい。

副医院長先生からは、アルコール依存についての詳細な事は告げられなかった。

自身はこの時、自分はアル中ではない!と言った思いが強く病院には行かなくなってしまった。

会社は自分がおかした欠勤、部下と結婚などで居づらくなり約8年で退職した。

この頃は子どもも授かり、色々と大変だった。最悪な事に出産予定日まで飲酒していた。

生まれた日も飲酒しており、酔っ払って子どもを抱き上げた。


そして同じ業界に転職するも、やはり通勤の問題や人間関係のストレスで、飲酒量がました。

もう完全に飲酒コントロールを失った状態で、家に閉じこもり退職した。5社目。


次に入った会社はまだまだ仕事は良かったが、体力的に厳しい。また夜勤もあり、身体がへとへとになってしまった。やはり会社へ出勤出来ず退職となる。6社目。


6社目の勤務時に7社目の会社は内定していた。

そして今から約15年前に7社目に転職。

オープニングのため、様々な事を教わった事が楽しい。当初飲酒は次の日、また次の日と、色々な事があるので量をセーブしようと思っていたが、セーブが出来ない。

まだ40歳代と言う事もあり何とか会社には這いつくばって出勤していた。

しかしそれも最初だけだった。

アルコール専門病院には外来で受診しており、47、48歳の頃、一度断酒の決意をし、約1年断酒出来ていた。

その頃は何も考えず、職場、自宅の往復を日々淡々とこなしていたため断酒出来たのだろう。

しかしふとした瞬間旧友に最近全く会っていない事に気づき、自らが旧友に連絡をしていた。いや頭、脳が旧友と会って飲んでしまえ!と訴えかけてきたのかもしれない。


続く。